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日常の中でこそ死を考え、話した方がいいと思ったこと

日常の中でこそ死を考え、話した方がいいと思ったこと

こんにちは。景山伸子です。今年最初のブログでまず書こうと思ったのが父の死とそれに関連した2冊の本についてです。

2020年に入り、すぐに父が心肺停止で倒れ、そこから旅立つまで約2週間、様々な経験をしました。
もともとステージ4のガンを2度寛解させていた経緯もあり、いつもなるべく悔いが残らないように接していたのですが、いざ生と死と向き合わざるを得ない状況になって感じたことも多くありました。

現代医学では、心臓が止まることが「死」と位置付けられているとは思いますが、もう話せる可能性は低い状態でどこまで機械で心臓を動かすことが生か、心臓が動いても脳が死んでいる状態は死なのか。医学が進んだ今だからこそ、線引きや選択が難しくもあるなと実感しました。もちろん相手に気持ちを聞けたら、してほしいようにできるのですが、意識が戻らない場合は、家族がいろんな決断を迫られます。

父の場合は、ガンを経験したことやそれなりの年齢だったこともあり、ある程度の意思を普段から母に伝えていたようですが、これが若くて事故などで急な場合は、より難しくなるだろうなと思いました。

父が倒れてから私は2冊の本を手に取りました。1冊目がエンディングノートです。
以前から、若くても何があるかわからないから、情報をまとめておいた方がいいと思っていたのですが、なかなかできていなかったことの一つで、これを機に少しずつ自分の情報をまとめています。

特に延命治療や臓器提供など繊細な問題は、本人の意思としてはっきり残せば、残された人もそこに添いやすいと思います。また普段はなかなか考えたり、話すこともないお墓のこと、連絡して欲しい人の情報をまとめておくことも大切なことだなと感じました。

そして、もう一冊購入したのが、葬儀関連の本です。
これも何かあってから手に取る場合が多いと思いますが、身近な人が死に向かう中や死後すぐに本を購入したり、読むのはしんどいと思うので、やはり何もない時に一読しておくのがいいと感じました。

自分も周りも元気に長生きできるのが一番ですが、何もないときにこそ時間を取って死と向き合うのが大切だなと。そんなことを考えながらの久々のブログ更新でした。

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